捨てられネーゼの断捨離

むかし学校へ行こうで「捨てられネーゼを救え」というコーナーがあった。物が捨てられないギャルの家に出向いて片付けを手伝うというコーナーだ。私は典型的な捨てられネーゼで、自分の部屋も会社のデスクも汚いし、推しもどんどん増えていくタイプだ。あの時から好きだった三宅くんは2023年の春に退所して、夏にとべ入りした。発表の動画を見て、いやそれ前の事務所でもやれてたじゃんと思ったら自分でもあっさりもう追わなくていいかとなった。V6が解散していたからかもしれないけれど。

 

 

12月30日、知り合いのお友達が体調不良で急遽入れなくなったからと、JUMPのライブを譲ってもらった。席はバルコニーで立ち位置的には上手に入りたかったけど、ある一曲でめちゃくちゃかわいい顔ハートの振り付けを踊る裕翔くんを正面で見れて、バルコだろうが下手だろうが最高じゃんと思ったりした。JUMPのライブに行き始めてちょうど10年。裕翔くんは10年間、何も変わらずにずっとキラキラした目で、変わらない透明感で、そこに居続けてくれていて、それってとても幸せなことだなあと、何の脈絡もなかったけど唐突に思ったりもした。

 

幸せな気持ちで会場を出て、25ゲートの大看板で写真を撮って、友達のAちゃんと待ち合わせようとLINEをしていたら、別の友達から「え、ねえ大丈夫……??」とLINEが届いた。

その一文だけしか届いていなかったけど、それだけで、やばい、きっと大晴くんがやばいやらかしをしたんだと思った。その子が末澤担だったからかもしれないし、私の生活の大部分を占めていたからかもしれないし、いま思えばそれほどまでに彼のことを信頼していなかったからなのかもしれない。

 

そこから何で事実を確かめたかは覚えていない。事務所の公式発表文を読んだ記憶もないし、局メールも動画も怖くて見れなかった。コンプライアンス違反で契約解除、それ以上のことは発表しない。その情報だけが頭に入ってきた。さっきまで寒いと思ってなかったのに、震えが止まらない。震えているのに、意味がわからなさすぎて悲しくもない。混乱している間に別のオタクからもどんどんLINEが来て、それにやばいとだけ返信しながら、あぁ、現実なんだと思った。「だまって抱きしめに行きます」と返してくれたAちゃんの顔を見たら、悲しくもなかったはずなのに涙が止まらなくなって、25ゲート前で人目も憚らず泣いた。

 

 

5分くらいぱーっと泣いたら、気持ち悪いくらい冷静な自分がいた。5人は続けてくれるらしい。何も悪くないのに代わりにみんなが謝るんだ。申し訳ない。でも続けてくれる5人のことは辛くてもう見れないや。それも申し訳ない。私はもう見ませんができるけど他の5人のファンはそうじゃないよな。まじで申し訳なさすぎるな。

てかこの感情、半年前も思ったんですが。半年で推し2人もとんじゃうことあるんだなあ。見る目ないなと笑われるかな。なんならむしろ笑ってくれ。家にあるグッズとかどうする?とりあえず部屋のポスターは剥がさなきゃな。てかグッズだけじゃなくて私オレンジのものばっかり買ってるんですが。捨てられネーゼすぎて、神様がいい加減にしろって言ってるのかもなあ。

やっぱり怒りとか悲しみとかはあんまりなくて、いろんな人への申し訳なさと、これからどうするかと、こんなんでも彼のことを嫌いにはなりたくないという気持ちだった。

 

幸いAちゃんとは帰り道が同じで、きっと気を遣ってくれてJUMPの話ばっかりしていた。その優しさがありがたくて、持つべきものは長年の友達と複数の推しだと思った。

帰って小さめのおにぎりだけなんとか食べる。貼っていたポスターを剥がして捨てて、置いていたぬいとその日も持ち歩いていたアクスタをしまって、一緒にケースに入れていた写真を元の場所にファイリングした。こんな時でもどの写真も悔しいくらい顔が好きだな。てか枚数が多すぎるんだが。どうすんのこれと、ちょっと吐き気がした。

そのあとスマホのホーム画面を変えて、全てのXアカウントで関連ワードをミュート。ミュートできているか確認するために更新をかけたら「ほんといつも余計なことしてくれるな」ってだけの他担のポストが目に入って、Xの無駄な賢さを恨みながら関ジュ用のアカウントをログアウトして寝た。

 

 

12月31日、翌朝起きてもやっぱり現実だった。ミュートしたし調べもしないから昨日以外のことは分からない。でも事務所が発表しないということは知らなくていいことで、なら知らないまま昨日までの幸せをしまいたいと思った。戻ってこない自担と、戻ってくるかよくわからない自担と、全て含めて関ジュ担はもう終わりにする。8年半も関ジュを見ていてはじめて自分で当てたあけおめにAちゃんと行くことが決まっていたから、これで卒業にする。その意思表明をストーリーでしてから、捨てられネーゼなりに断捨離せねばと、カメラロールの写真を消した。4,764枚、20GBくらい空いた。潔さそうに見えて思い出はなかったことにしたくなかったから、現場の時にみんなと撮った写真は捨てられなかった。

 

この日の予定もJUMPのライブだ。カウコンがなくなって追加になった大晦日公演。まさかカウコンじゃなくてJUMPコンで本当に良かったと思うなんてな。Aちゃんと待ち合わせて年越しそばの鴨南蛮を食べた。久々のちゃんとした食事はすごく美味しくて、これでもかと言うほどお出汁が心と体にしみた。その日は元々Aちゃんにポップアップストアの代行を頼んでいて、アクスタの代わりにAちゃんセレクトの裕翔くんと最高のやぶひかの写真をプレゼントしてくれた。やぶひかまであるの天才すぎ。また物が増えてしまったけど、これは必要な物だ。

 

 

いろいろありすぎた嫌なことはぜんぶ2023年に置いていこう。2024年は新たな気持ちでまた生きよう。言うだけじゃなく行動しよう。そういや私、初日の出見たことなかったな。見るか。

 

1月1日。6時45分にアラームをかけてマンションの最上階へ上がった。父の横で空を見た。日が上がろうとしている。明るい。太陽が顔を出す。大晴くんみたいな太陽と青空だなあ。

 

無意識にそう思ってしまった自分に気付いた瞬間、涙が止まらなくなった。いつからか澄み切った青空の日には大晴くんみたいな快晴だなと思うようになってしまったんだ。どんなに踏ん切りがついたとしても、Aぇ! groupを関西ジュニアを見なくなったとしても、太陽と青空とは離れられない。きっとこの先も不意に思い出してしまう。永遠なんてないって知っているけれど、どうせならこんなに悲しい別れじゃなくてちゃんとお別れしたかった。大好きだった人が規則に反する悪いことをしていなくなった。私にわかることはそれだけ。どうして。なんで。なんてことしてくれたの。30日にAちゃんと会った時ぶりに泣いた。

 

 

アイドルは虚像だ。私たちが見ているものは所詮作り上げられた、表に出せる姿だ。裏の姿がどんなものかは分からない。見られるものだけ愛していられればそれでいい。

そう思っていたけれど、表に出せない何かが、そしてそれが悪いことであるという理由で表舞台から去ってしまった今、これ以上彼のことを考えると大好きだった表の部分も嫌いになってしまうと思った。そしてそれは、私にとってはその間の自分のことを否定するのと同義で、それだけは嫌だった。

 

私は自分を守るために、あなたとその周りを捨てます。自分を守るために、他の推しを頼ります。名残惜しいなとか思ってたけどさ、よく考えたら先に私たちを捨てたのはそっちだもんね。私は今日だって生きていかなきゃならないので、お別れです。そっちも生きていかなきゃいけないだろうから、賢い頭と努力できる才能と天性の愛嬌をちゃんと適切に使っていってください。今までありがとう。12月30日まで大好きでした。